ニコチン抜けたのか?
体の感覚が禁煙前の状態に近づいてきました。
つまり、タバコ無しで喫煙していた時と同じような感じになります(元に戻るといった感じ)。
禁煙を開始してから少し前までは、明らかに禁煙している事による感覚の違いを感じていました。イライラしたり、ボーッとしたりと。しかし、最近やっと違和感が無くなってきたような気がします。
3週間という節目でニコチンが抜けたのでしょうか。まだ油断なりませんが、吸いたいという気持ちも少し収まってきたようです。
今足りないと感じているのは「メリハリ」です。
私は今まで、食事をした後や仕事が一段落した後など、節目になる時には必ずタバコで一服をしておりました。
錯覚かもしれないのですが、この行為はメリハリをつけ、気持ちの切り替えをとても容易にするものでした。そしてこれがタバコを吸うメリットとだと感じていました。
しかし、一番辛いと思っていた禁断症状から抜け出すと、次はこのメリハリの無さが気になってきました。なんとなく「一段落」する事が無くなり、断続的にだらだらと時間が流れていくといった感じでスッキリしないのです。
これについては、軽い運動や深呼吸など、早急に自分に合った代替行為を探した方が良さそうです。
今回の禁煙すべき理由
児童虐待!?
私の親も喫煙者で、私が幼少の頃から当たり前のように家の中でタバコを吸っていました。
子供の頃から当たり前の光景だったので、煙で息が苦しいとか、やめてほしいとか一切思いませんでした。私と同世代の方には分かっていただけると思いますが、昔は喫煙というのは成人男性の大半が嗜むとても日常的なものだったのです。
しかし現代では受動喫煙による健康被害の統計も整い、自分と周囲の人間に明確に害が発生することが分かっています。ここまで分かっているのだから何も知らない子供に煙を吸わせるのは虐待と捉えられても致し方ありません。もちろん私が親に対し虐待されたと思っているわけではありません。昔はそういうものでしたし健康被害に対しても鈍感でしたので。
しかし今は昔と違うのです。被害を予測できる今、子供の為にも大人が意識を変えていくべきなのではないのでしょうか。
罪!?
昨今の喫煙抑制はやりすぎているのでは、とまだ変換できていない禁煙前の思考からそう感じることがあります。その思考は、喫煙していた時期に年々規制がきつくなり、吸う場所が追いやられ窮屈になっていったことに対する反感から生まれたもので、規制を作った人に対しては敵意も生まれましたし、潔癖な人が増えて困ったものだな、なんて思ってもいました。
しかし、改めて考えてみると以前の私が「古い」と言わざるを得なくなりました。
喫煙者が自己の健康を害する事を理解した上でタバコを吸うのは何も問題ありません。勝手に吸えばいいのです。しかし、その意思がない周りの人間に煙を吸わせるのは大変な迷惑としかいえません。
人に暴力をふるったら罪になります。毒ガスを吸わせたら罪になります。でしたら受動喫煙も、有害なものを吸わせているのですから罪になってもいいレベルですよね。人を傷つけるも同じ行為なのですから。
タバコを吸うという行為は、それだけで人を傷つけてしまうというリスクを負っていることを理解しなくてはいけません。
これからも規制はどんどんと厳しくなっていくと思われます。
そろそろ古い感覚を改め、時代の変化に寄り添うべきだと思います。
自分の為ではありません。大切な家族や周りの人の為なのです。
無作法な喫煙は、周りの人間に害を与えているということをしっかりと認識し、その認識により喫煙者に戻らないようにしていきたいと思います。